夏休みといえども、さすがに住宅街の深夜は静かであった。
でも、人影をみると、知っている者でないか、ポケットに忍び込ませてあるカッターナイフを強く握りしめる。
駅の近くにある公園まで中学生の時は15分ほどで着いたのに、道のりは非常に遠く、心臓はバクバク喘ぎながら動いている。
公園の灯りが見えてくると、さらに、恐怖と不安で足が止まり、このまま歩けば、心臓が止まるかもしれないのではという思いとともに、猛烈な吐き気に襲われる。
誰かが見ている、せせら笑っているような声、臆病者と言っている声等の声が聞こえる。
もう限界である。
家族が寝静まった家にもどり自室に入る。安堵感が全身にみなぎる。
カッターナイフを取り出し、刃を見る、血液は付着してない。よかった、人を傷つけなかった。自分も死ななかった。
でも、何か充実感を感じる、3年ぶりに外を歩いた。充実感は軽い疲労感だけではない。恐怖や不安感とこの充実感を満たすための葛藤が始まった。
恐怖感や不安感は自分を知っている者や嘲笑されるであろう恐怖感からくる。おそらくは学校や社会に出て行かれず、同級生の群れから離れた焦りや不安からくる劣等感が自分を支配しているからであろう。そして、なによりも怖いのは、さらに自分は傷つけられ死ぬのではないかという思いである。
歩くと声を掛けられるかもしれない。それなら、自転車を使えば、相手が気がついた時には、走り去っているかもしれない。それなら、大丈夫かもしれない、中学時代に乗っていた自転車まだ乗れるだろうか。
次の日の深夜、自転車に乗って外に出た。ポケットには勿論、カッターナイフと小銭入れが入れてある。できれば、30分程で着くはずの、海に行ってみたい。だだ、ぼんやり、夜の海が見たかった。
先週は海外出張のためお休みしました。